think Out 考え抜く~

私は、広大な自然の中にそびえたつ浅間山の麓で生まれ、末っ子で父親っ子であった私は、父の影響を多分に受けて育ちました。四季折々の自然に触れ、油彩に造詣のある父の影響で、秋になると紅葉に染まる美しい風景を写生したものでした。父は私に、絵の具をチューブから出してそのまま使わず、必ず他の色を混ぜ、独自の色をつくり描くことを説きました。赤は赤でも何通りもの赤があるので、色を混ぜ自分の目に映る色を感覚的につくり出せることを教えてくれました。また、物心ついた時から「満知子らしく生きなさい」と父から言われて育ったため、私は常に“自分らしさ”を自問自答しながら日々を過ごしました。

社会人になり仕事に従事するようになると、ひと味違う何らかの付加価値のあるアウトプットが出せるように意識していました。20代では、なかなか自分の思い通りのアウトプットができなかったり、理想にほど遠かったりで、焦りと劣等感にさいなまれつつ、とにかく何かに憑りつかれたようにがむしゃらに働きました。その頃の私は、幼いときからの「一生、自分らしくイキイキと働き続けたい!」という夢を、どうしたら叶えられるのかを必死に模索していたのだと思います。

1998年にそうした夢をかなえるために起業しました。何もないゼロからのスタートで、開業後は道なき道を進んでいる感覚で、先が見通せないにも拘わらず日々決断を迫られる毎日でした。勿論いつも正しい決断が下せたわけではありません。痛みとともに失敗から多くを学びました。

気づくとすでに22年の歳月が経過しました。これまでの多くの経験から、ようやく“自分らしく”考え抜くためのセオリーが確立してきたように思っています。その3つをご紹介いたします。

『シンプルイズベスト』:命題(自分らしい結論)から逆算して解決策を導くことで、物事を複雑に考えない

問題に対して解決策を考える過程で、いらないものをそぎ落とし、シンプルに考えるよう心がけています。解決策の絞り込みの際には、いらないものをそぎ落とすことで視界や思考がクリアーになり、決断のスピードが高まることも会得しました。また、いくつかの解決策の間で迷った時は、シンプルな策を選ぶようにしています。

あれこれリスクを考えると、逆にヘッジを備えたくなりますが、備えれば備えるほど、真意がぼやけて、潔い決断ができなくなります。さらには誤った決断を下したり、決断を躊躇して先延ばしにしたことで悪い状況に追い込まれたりすることも多々あります。自分の経験から“そぎ落とすこと”の方が難しいと常々考えており、そうした自分を戒める意味で『シンプルイズベスト』を常に意識しています。

解決策を絞り込むときに、もう一つ意識しているのが、私が子供の頃に自問自答していた“自分らしさ”です。

会社でいうとそれは、理念やポリシーといえるかもしれません。“自分らしさ”には、これまでの多くの人生や職業人生のエッセンスが詰まっており、目に見えない資産であり、そぎ落としてしまうと、他への優位性がなくなり弱体化してしまうと考えています。

既成概念にとらわれない:時に自分さえも疑うことで、新たな考えを受け入れる

山々の風景を写生していたころ、一見『黒い』葉に見えても光の加減でそう見えるだけで、実は鮮やかに紅葉した『赤い』葉であることに“はっ”としたことがありました。ビジネスにおいても自分の目や物差しだけで、本質を見極めることは難しいと常々感じています。

お客様であれば企業規模や歴史、パートナーの翻訳者であれば経験年数、といった既成概念に基づいて心に抱いた第一印象が、良い意味で外れたと感じることはしばしばです。そんな経験の積み重ねから、自分の目や物差し、その基となる既成概念や常識は、時代背景や環境の変化により根本的に覆るもので、現在と未来のビジネスでは通用しないと私は信じています。

例えば、翻訳の世界では「正確さ」が重要であると言われてきましたが、「正確さ」という言わば翻訳品質の根本的な概念が変化してきています。少し専門的になって恐縮ですが、これまでの翻訳における正確さとは「逐語的 * 」というものでした。その結果、日本企業が海外に向けて発信するIR等の情報は、日本人の言語感が反映した外国人にとって読み難く、真意が伝わりにくいものとなっていました。しかし、情報とマネーの国際化とリアルタイム化が進む現在、翻訳の「正確さ」の定義は「素早く伝わる」に変わりつつあります。 * 単語、文、段落の順序はなるべく変更せず、一語一語外国語に置き換えること

翻訳ビジネスにとってはパラダイムシフトとも言えるこの変化を感じながら、私は社員に「何を、誰のために、何の目的で発信するのかをしっかり理解し、読み手にとって読みやすく、誤解無く内容が伝わる文章を書く」というプレイン・イングリッシュ(後述)の概念を社員に説いています。翻訳会社が原文に手を加えることはできませんので、場合によっては、とても勇気がいることですが、お客様に原文の文章構成の変更をお願いすることにも挑戦しています。

既成概念や成功体験にとらわれ、新たな見え方、考え方を受け入れられなくなり、硬直的な考えになると変化に対応できません。そのため、常識を疑い、時に自分さえも疑い、状況を俯瞰して四方から物事を見る目を養いたいと常々考えています。

混じり合う(柔軟性をもつ):ダイバーシティーを受容し合うことで、新たな気づきとともに意識が高められる

ビジネスの世界に身を置くようになってから、大勢の方との出会いがあり、多様な交流の場に積極的に参加し、人脈作りに努めてきました。全く知らない人々が集う会に参加することが常に楽しいものとは限りません。時に“場違い”な空気を感じて、苦痛とさえ感じるときもあります。

私が“場違い”と感じる原因の多くは、自分の至らなさを痛感し、身の丈に合わない場所に居合わせていると感じること、つまり疎外感であり劣等感です。しかし私はその劣等感と敢えて正面から向き合うようにしています。そうした“場違い”な中に身を置くことを、改めて等身大の自分を見つめ、至らぬ自分が研鑽すべきことは何かを意識させてくれる動機付けの場ととらえているのです。

また、新たな考えを持つ人々のいる環境に飛び込むことで、新たな価値観を享受しています。

例えば、この一年はISO*の委員の関係で海外のメンバーとの定期的なオンライン会議に参加する機会に恵まれました。そこでは、全く異なった国の異なった職業の人たちと意見を交わし合いながら、全体最適と思われる解を探しています。まさにダイバーシティーを受容し合い、自らも多くの刺激を受け、新たな気づきを得ながら意識が高められています。*国際標準化機構(International Organization for Standardization)

以上、3つの「私らしい」考え抜くためのセオリーをご紹介しましたが、考え抜いた結論を絵に描いた餅にしない、つまり成果に結びつけるためには、その結論を人に伝え、人の心を動かさなくてはなりません。以下に、自分らしく考え抜くためのセオリーとセットで、私が今、とても大切にしている「人に伝え、人の心を動かす」ためのセオリーをご紹介したいと思います。それは、イギリス政府が考案し、英米政府が1979年に行政に導入したプレイン・イングリッシュです。

伝わる『短い英語』:プレイン・イングリッシュの考え抜かれた伝達術は、ISO化とともに世界へ広がる

『プレイン・イングリッシュ』を知ったとき、はじめは読んで字のごとく、単なる“平易な(わかりやすい)英語”だと思っていました。しかし、その研究を進めていく中で、プレイン・イングリッシュの本質は、人の心を動かす力にあることがわかりました。

「情報を整理する」、「ポイントを先に述べる」、「能動態で述べる」(日本語は受動態が多い)、「否定形を避ける」、「S+V+Oで責任の所在を明確にする」など、プレイン・イングリッシュのガイドラインに沿って表現を変えるだけで文章の印象が変わり、相手の行動をより明瞭に促したり、相手のモチベーションをより効果的に高めたりすることができるのです。

例えば、日本語では頻繁に使われる受動態と否定形の表現ですが、

受動態〕より良い社会は、あなたの一票によって築かれます。⇒〔能動態〕あなたの一票が、より良い社会を築きます。

否定形〕あなたは、英語を勉強しないから、進級できない。⇒〔肯定形〕あなたは、英語さえ勉強すれば、進級できる。

いかがでしょうか、同じ意味でも表現を変えただけで印象が変わります。受動態から能動態にすることで(投票という)相手の行動をより明瞭に促し、否定形から肯定形にすることで(英語の勉強への)相手のモチベーションをより効果的に高めることができるのです。

下記は、1955年にアメリカで出版された子供の初等教育におけるプレイン・イングリッシュがもたらすモチベーションへの影響と習得の効果を記したルドルフ・フレッシュ博士著のベストセラー本です。

プレイン・ジャパニーズをご活用いただき、業務の生産性アップにつなげていただきたい

行政、教育、そして現在ではビジネス全般で使用されているプレイン・イングリッシュですが、昨年2019年9月に国際規格とすることがISOで採択され、英語圏以外でも母国語のプレイン化への動きが進み始めました。日本でも、プレイン・ジャパニーズとして、着々と規格化が進んでいます。

ビジネス文章はもちろん、プレゼンテーションやオンライン会議、オンラインセミナーにぜひプレイン・ジャパニーズをご活用ください。言葉の持つ力を最大限に引き出す表現を使うことで、業務の生産性アップにつなげていただきたいと思います。

プロフィール

本コラムの著者

浅井満知子(あさい・まちこ)氏

株式会社エイアンドピープル 代表取締役。東京商工会議所 評議員。国際標準化ISO/TC37プレイン・ランゲージ委員。JPELC 代表理事。CCCJ 理事。Clarity International 日本代表。

1998年 翻訳・通訳会社「エイアンドピープル」設立。2019年 日本初のプレイン・イングリッシュの普及推進団体JPELC(ジャパン・プレイン・イングリッシュ・アンド・ランゲージ・コンソーシアム)設立。

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