私の上司・福沢諭吉
サラリーマンを辞めて起業した経営者が独立してから気づくこと。それは経営者には「上司」がいないということ。いざいなくなってしまうと実に心もとないものです。私も独立してからはじめて自分を叱ってくれる上司という存在の有り難みに思い至りました。
そんな私に今では偉大な上司がいます。その人は、慶應義塾を創設した福沢諭吉。もちろん故人ですから面と向かって何かを言ってくれるわけではありません。以前、私は3年ほど麻布十番に住んでいたことがあるのですが、その間、毎朝、諭吉が眠っている麻布山善福寺へお墓参りに行っていました。
諭吉の命日(2月3日)にお墓参りをする学生は留年しない。そんな伝説が慶應義塾大学にはあるためか、その日だけ多くの学生も善福寺を訪れます。自分はと言えば、ただ墓前で手を合わせて頭を垂れるだけ。それでも、「上司」との対面によって諭吉が叱咤激励してくれているような気持ちになると同時に心を整えることができるから不思議です。
何をそんなに好き好んで毎朝お墓参りへ行くのか?それは、諭吉という人間に魅了されているからにほかなりません。そこで、諭吉がいかに魅力的な人物だったかについて紹介することが本コラムのテーマに沿うものと思い、私自身がほんのちょっとだけ実践している諭吉の教えと併せてお伝えしたいと思います。
「考える」より大切な、福沢諭吉の「感じる」力
福沢諭吉は言わずと知れた洋学者であり、人材輩出を一手に引き受けた慶應義塾で存命中に近代日本の礎を築いた数多の人材を輩出した教育者。また、国民に多大な影響を与えた「学問のすゝめ」「西洋事情」「文明論之概略」等の著作を残し、英ガーディアン紙に「東洋のソクラテス」と評されたほどの思想家でもあります。さらに、明治生命、東京海上、横浜正金銀行(後の東京銀行)などは諭吉が構想し創設した名門企業であり、ベンチャー起業家といった顔も併せ持っています。
長崎や緒方洪庵の適塾で学んだ蘭学を通じてオランダ語をマスターしたものの、1859年、横浜見物に出かけた折、オランダ語が実務で役に立たないと確信した26歳の諭吉。激しく落胆したものの、英語ができないことには外国とまともに対峙できないと悟った諭吉が辞書だけを頼りに独学で英語を習得したエピソードは有名でしょう。
諭吉の偉大なところは、ベルリッツなどの英会話スクールもYouTubeもなければ英語の教科書も講師もないなかで短期間のうちにマスターしたこともさることながら、目の前の事象を観察することによって瞬時に時流を読み解いた感性にあると私は思うのです(諭吉は、文明論之概略の中で歴史は「時勢」がつくっていると記しています)。
AIなどのテクノロジーが進化した今日の世界では、答えそのものを学ぶことの重要性が相対的に低下し、答えの見つけ方を学ぶことが必要とされていることは論を待ちません。まさにthink Out(考え抜く)のスキルが求められるわけですが、さらに重要なのは答えを見つけるべき正しい問いを立てることでしょう。問いを正しく設定するためには「考える」より先にまず「感じる」ことが本質的に大切です。この「感じる」力こそ諭吉のすぐれた能力です。
目の前で起きていることを見て本質を感じようとする諭吉の姿勢は、私も仕事をするうえでとても大切にしていることのひとつです。
以前、クライアントが中東の地で有力なローカル企業との合弁企業を通じて現地進出(工場建設)を図るプロジェクトに取り組んだときのこと。複数の国・都市から候補企業を検討する際、どこへ進出し、どの企業と組むことが経済的にもっとも理にかなっているのか。これを試算するのは公開されているデータさえあれば、あとはExcelを使ってシミュレーションすることは比較的容易です。しかしながら、それだけでは事業の成功はおぼつかないと思うのです。
Excelでポンっと出したシミュレーション結果のとおり本当に首尾よくうまく行くものなのか。特に中東の場合、経済・ビジネスを所管する省庁へアドバイスを求めに行けば、必ず「この国では法人税ゼロ、消費税もゼロ、所得税も関税もゼロ、おまけに為替はドルベック制なので為替リスクもゼロ。さらに、光熱費も経済特区でやれば優遇措置で安上がりで良いこと尽くし」という具合に、当地に進出しないなんてこちらがバカに思えてくるほど、国を挙げたモーレツ営業を受けることになります。
理屈ではそうかもしれません。でもいったい経済特区に工場を立てて、労働の質も士気も高い従業員はどうやって集められるのか、従業員はどこに住んでいて、どうやって通勤してくるのか、潜在的に起こりうる問題とはどんな類のもので、どう備えるべきなのか。
専門家に頼るなり、現地企業とアライアンスを組むことで解決できる部分もありますが、やはり「感じたい」ですよね。そのため私は、検討対象となった工場の建設候補地では、労働者が朝食を取るために集まる食堂へ行って前後左右の客に話を聞いたり、日中は街の中を30-40km走ることで事前に収集した情報やデータと感覚が一致するか確かめたり、ということをしています。
ファクトとロジックで論理的に導くことの有用性は絶対ですが、私は最後の最後は、そのようにして得られた心象とか感性が決め手になるように思うのです。諭吉のマネごとをしているだけの自己満足かもしれませんが、他人の手あかのついたパブリックな情報からは差別化されたオリジナルな価値は生まれないでしょう。自分の足で稼いだ情報こそが貴重だと考えています。
プロフィール
本コラムの著者
田中慎一(たなか しんいち)氏
財務戦略アドバイザー/株式会社インテグリティ代表取締役 慶応義塾大学経済学部卒業後、監査法人、投資銀行を経て現職。M&Aアドバイザー、買収先企業の再建に取り組むほか、スタートアップ企業のCFOも務める。趣味はトライアスロンでヨーロッパのアイアンマンをすべて制覇するのが人生の目標。
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