考える技術【第1回】コンサルティング会社での経験と示唆

私は新卒で「戦略系」と呼ばれるコンサルティング会社に入社し、25年ほどコンサルタントとして働き、その後も同様の領域で仕事をしている。その間、「考える」ことが求められ、その技術を磨いてきた。ここ数年は、「考える」とは何かを自分なりに考え、その技術を人に教えることも試みている。

最近では「戦略系」という括りに意味はなくなりつつあるが、私が入社した80年代後半には独特の意味があり、ビジネスにおいて考えることを密度濃く経験でき、それが何かを探求する題材に満ちている環境だった。この第1回は、その経験とそこからの示唆を記し、第2回以降にてより具体的に議論する「考える技術」の背景と輪郭を示すこととしたい。

自分の頭を使って考える実践の場があった

私が考える力・技術を身につけられたのは、所属した戦略系コンサル会社の環境、特に入社後数年間の経験があったからだと思う。もっとも、環境のおかげといっても、会社や他のコンサルタントから「こうやって考えると良い」ということを教わった記憶はほとんどないし、具体的にどういう思考法を学んだかを書こうとしても思い浮かばない。

もちろん、コンサルティングを行う際の観点、例えば事業戦略であれば、「市場性の視点、経済性の視点で考えろ」、BPRであれば「プロセスを分析しろ」といった点は教えられたが、社内の優秀なコンサルタントを見ても、そういったことを深く・広く知っているかどうかで考える力の差がついていたわけではない(では、いわゆる「地頭」か、才能か、センスか? 結論はおいおい示していくが、私の考えはそれらとは少し違う性格のものだ)。

おそらく、当時も、先輩に「どうやって考えてますか?」と質問したところで、「普通に考えるしかない」「死ぬ気で考えろ」ぐらいしか答えはなかったと思う。

コンサル会社にも流儀はあるが、私の入った会社は、特に「自分の頭で考えろ」の精神が貫かれており、「MECEで考えると・・・」みたいな思考手法論を持ち出すと、たちまち軽蔑の目で見られた。

採用も、そういった世の中の手法論や経営知識に「汚染されていない」人を採っていたように思う。「既存の型を教わろうとせず、とにかくストリートファイトで相手に勝て、そのために個人で勝手に強くなれ」という発想が、戦略コンサルティングという産業が誕生した源流にあった。

先輩には冨山和彦さん(経営共創基盤 代表取締役CEO)などもいて、よく議論したが、ヒートアップすると朝5時まで言い合いを続けるといったこともよくあった(そして、帰っても寝付けず「明日はこういう反論をしよう」とさらに考え続けた)。

つまり、私は環境に育てられたことは確かだが、それは(世間や他人の説や手法を信じず、頼らずに)「自分の頭で考えろ」という姿勢以外に何かを教えてもらったわけではなく、「普通に考える」ことにおいて優秀な人がたくさんいて、彼らとインタラクションし刺激を受けたということだと思う。

それを通して自分なりに「自分の頭で普通に考える」ことを、おそらく一般の人よりも多く実践し、習慣化できたということだと思う。

考える仕事があるのではなく、考えて仕事する人がいる

では、この「自分の頭で普通に考える」とはどういうものか。私のコンサル会社での経験から感じたことを少し続けてみたい。

私が仕事を始めた80年代には戦略立案の仕事が多かったが、それを担当するコンサルタントの仕事は、一見「頭を使う」作業ばかりではなかった。当時も「時間的には7,8割は単純作業だな」と感じていた。なので、同期のコンサルタントにも「もっと頭を使う仕事だと思っていた」「考える仕事が少なくてつまらない」と不満を持つ者もいた。

私自身は単純作業をしながらもその間にあれこれ考えることを楽しめたし、他のコンサルタントが「考える余地がない」と嫌がるような仕事でも、工夫と味付け次第ではいかようにもなると思っていた。

そして自然に「どんな仕事にも考える余地があるものだな」というひとつの理解に達していた。「考える仕事」があるというより「考える人」がいるという感覚だ。

これは説教じみた精神論か?と思われるかもしれないが、実はビジネスで考えるとは何をすることかの構造的・合理的な意味合いを含んでいる。

戦略コンサルティングという呼び名は同じでありながら、90年代・2000年代と中身は進化を続けた。サービス内容も、戦略立案後の実行の支援や、組織・人材やIT関連、BPR・業務改革や全社変革・企業再生等、範囲は拡大し、それとともに「戦略立案」単体の依頼は縮小を続け、2010年頃には純粋な戦略立案の仕事は全体の1割もなかったと思う。

同時にコンサル会社としては、内部作業の標準化・パッケージ化を進めた。品質の担保と効率化を目指してのことだ。さらに、スピード化・短期間化の要請も強まり、ゆったり考える余裕は減り日毎の作業をこなす性格は強まった。

このような進化の中で、コンサルタント、特に若手の問題意識や不満も強まってきた。「戦略系に入ったのに戦略の仕事ができない」「頭を使う仕事ができない」「毎回同じ作業の繰り返し」・・・。

当時、人事・教育担当役員だった私は、彼らをガイドする意味で、次のようなメッセージを発していた。

「戦略コンサルタントとは、戦略を考えるコンサルタントではなく、戦略的に考えられるコンサルタントのことである」「普通の人がやれば考えないような仕事を、我々がやれば考える仕事にできる。そこに価値がある」といったことだ。

これらは「どんな仕事にも考える余地がある」の翻訳形だが、自分としては方便やその場しのぎのために言ったわけではなくて100%そう信じていたし、それは今も変わらない。

考える余地のある部分を、見つけられるか否か

実際、戦略コンサル会社における、プロジェクト開始前の営業提案段階はそれが具体的な形として見える象徴であり、よい例だ。

通常は企業の経営層から「営業戦略を作りたい」「BPRを手伝って欲しい」といった依頼を、その背景説明とともに1時間程度のミーティングで受け、1週間程度でコンサルプロジェクトを設計し提案する。当然、何社かのコンペになることも多いから差別化しなくてはいけない。

その際、依頼を受けた内容をそのまま文章にし、それをやりますといった提案をするケースは少なかった。ひとひねりを加えるのだ。すなわち、「営業戦略を作りたい」と言われ、その内容も定番的テーマに近いものであると、他社も定型化された同じような提案をするので、独自要素を付加する。

例えば「営業戦略を普通に作っても、営業人材の意識・行動を変えないと結局動かないことも多い。それらを同時並行的に進めるプロジェクトを提案する」といった具合だ。

営業戦略策定という定型問題は、誰がやっても差がつきにくい時代であれば、自発的にその周辺に何かネタを探して「考える仕事」に仕立て上げるということだ。

また、受注後のコンサルティングの過程においても、「営業戦略だけを作って終わる」ことは少なかった。

依頼内容の外に問題があることもあり、例えば、商品面やマーケティング面の問題等、クリティカルな問題を指摘しつつ、経営上の本質的問題へと議論を昇華させることも少なくなかった。

もちろん、企業再生時のビジネスデューデリジェンス等、受けた依頼内容に寸分違わず実践し提供することにこそ価値がある仕事も多いが、常にその背景や周辺を含めて考え、提案していた。

こういったスタンスは、個人レベルのプロジェクト作業においても、担当するコンサルタントに求められていた。

分析作業の担当として、大量のデータを入力し、定番的切り口で定型グラフを書き、グラフの形から普通の示唆を導くことは、実はさほど頭を使わない、「誰でもできる仕事」になりつつある。

そこに自分なりの「何か」を見つけ差別化する。能動的に考え・動いて、他の人がやらないようなことをやる。それはほんの小さなことでも良い。

例えば、顧客への報告資料の表紙タイトルを「討議資料」とするか「討議のための資料」とするか「ディスカッション資料」とするか・・・とよく悩み、そのときどきの場に合うベストのものを考えていた。

与えられた仕事を文字通りにこなすか、その周辺にネタを探して自分なりに考える仕事に仕立てるかは個人によるところが多く、「単純作業が多く面白くない」という人と「考える仕事なので楽しめる」という人に分かれていたのだと思う。

白地の中で見つけ出す、そのために量は重要

こういった経験から、「普通に考える」とは何かの中枢を言えば、「何らかのテーマについて、他の人なら見過ごして通り過ぎてしまうようなことを、そのテーマの周辺・関連から見つけ出す、それで他の人と差別化する」ことだと思う。これは数ヶ月で取り組むプロジェクトレベルでも、日常のちょっとした作業レベルでも当てはまる。

その必要性は自分がコンサルタントを始めた頃よりも、今は実はより顕著なものになっていると思う。

情報の流通・普及と検索技術の進化により、ある問題・テーマが認識された瞬間にその解法はたちまち見つけられ、手に入れられる時代になったからだ。当該テーマの解き方で差別化する余地はもはや小さい。

そのため、他人と差別化するためには、その周辺や関連の何もないところに「何か」を能動的に見つけるしかない。

そしてそれは「何もないところから見つけ出す」脳内作業なので、基本は「白地に穴をたくさん掘る」ことだと思う。

クリエイティブなというよりは、量の勝負に近い。経験もセンスもカンも重要だろうが、とりあえず量は有効だ。

もちろん効率的に、探索的に掘るかは考えるべきだ。今は働き方改革の時代。朝5時まで考え続けることをよしとすべきではない。どのあたりを掘ると効率的か。これについては自分の経験から見えてきたこともあるので、後に解説していきたい。

幸いなことに、過去〜現在の(そしておそらく未来の)ビジネスにおいて、「掘れば何か見つけられる」が、精神論でなく、私の経験則だ。考えれば必ず見返りがある。それくらいの多様性・複雑性と奥行きが、ビジネス関連の事象にはあるからだ。

以上、この第1回では、「考える技術」に関連するコンサルティング会社での私の経験とそこで得た考え方を述べてきた。こういった背景を経て認識された「考える技術」を次回以降にて具体的に解説していきたい。

[第2回の記事はこちら]

プロフィール

本コラムの著者

細田 和典(ほそだ かずのり)氏

東京大学工学部、同大学院卒業後、株式会社コーポレイト ディレクション、ブーズ・アンド・カンパニー(現PwCコンサルティング合同会社)にて25年以上にわたり経営コンサルティングを経験。 その後、原子力損害賠償・廃炉等支援機構参与、プライスウォーターハウスクーパース株式会社顧問を務めた。株式会社プロレド・パートナーズ監査役。

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