福沢諭吉に学ぶ、考える手法(後編)田中慎一氏

諭吉の眠る麻布山善福寺

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考え抜くことで得られる、わかりやすく伝える技術

私が考える諭吉のすぐれているところをもうひとつ挙げるとすれば、著作やメッセージがとにかく「わかりやすい」ことです。大ベストセラーとなった「学問のすゝめ」はその代表格ですが、古来の文章法を破って平易な通俗文を使うことを諭吉が売りにしていたため、文章のリズムが小気味よく読みやすいのです。

サンフランシスコで買ってきた「華英通語」に日本語訳を付して「増訂華英通語」を出版した際、That is the explanation.という例文に「かようなわけじゃ」という訳文を付けるあたり、わかりやすさや親しみやすさを追求するだけでなく、諭吉のユーモアセンスや相手をエンターテインしようという計らいをも感じさせます。また、「violin」といった単語の発音を「ヴァイオリン」と表記するなど、vの発音をウの濁音で表記したのは、この増訂華英通語の中で諭吉が最初にやったことでした。

私がかつて働いていた投資銀行の世界では、難解なコーポレートファイナンスをよくわからないまま説明するのが理知的に見える(お金が取れる)とされていた雰囲気もあり、どこかクライアントを煙に巻いていたところがあったものです。

そんな雰囲気に疑問を持っていた私は、これまた諭吉のマネをして、コーポレートファイナンスの本質を「ピザの分け前理論」とたとえて説明するなど、他のどのバンカーよりクライアントにわかりやすく伝えることが自分の存在価値だと心得ていました。独立した今もプレゼンする、本を書く、誰かに説明するといった場面では、とにかく平易な語句で「わかりやすく」「相手に伝わるように」話すことが自分のミッションだと考えています。

コミュニケーションは相手に伝わってこそコミュニケーション。そんなこと当たり前と感じるかもしれません。しかしながら、自分のしゃべりたいこと、準備してきたことを一方的に話しておしまい、まったく相手に伝わっていない話をする人は少なくありません。実は、相手に確実に伝わるくらいにわかりやすく表現する技術は、考えに考え抜いた先にある本質へたどり着き、一切の無駄を削ぎ落としたときにはじめてできる芸当ではないかと思っています。

福沢諭吉の人間としての魅力

「学問のすゝめ」を読むとわかりますが、タイトルは名ばかりで、実際の内容は「学問をやれ!」という激烈なメッセージで国民を叱りつけています。そんな諭吉に対して堅物で扱いにくい人といったイメージを抱く人も多いでしょう。でも、素の福沢諭吉という人間は、とってもチャーミング。完全無欠の人間どころか、むしろダメなところもあればスキもある実に人間味あふれるおっさんです。

もともと大酒飲みの諭吉は一念発起して節酒にチャレンジするも、かえってタバコが増えてしまったなど出来そこないの一面も。

特に、諭吉の親バカぶりは尋常なレベルではありません。息子2人をアメリカの大学へ留学させている間、心配でたまらない諭吉は、塾生に対して息子の大学へ留学してやってくれないかとお願いしているほど。息子の様子が気になる諭吉は留学中に300通もの手紙を息子へ送っているそうです。

さらに、横浜の共立女学校に入学させた娘三人については、全員寄宿舎に入ることが同校の規則となっているにもかかわらず、諭吉は「うちの娘だけは土曜日に家に一泊して日曜日に帰ることを認めてはくれないか」となんとも無茶なお願いを学校にしています。聞き入れられないとわかると、あろうことか諭吉パパは入学させたばかりの娘を退学させてしまいました。ここまで来ると親バカを通り越して単なるバカかもしれません。

また、英語が得意と思われている諭吉ですが、四女のお滝は諭吉の英語の発音を「めちゃくちゃでござんすね」と一刀両断しています。スピーキングの方はさっぱりだったようで、日本人英語の私にも勇気を与えてくれます。

現代でもそうですが、真のリーダー、ひとかどの人というのは、圧倒的な実力を兼ね備えていながら、どこか可愛げがあったりするものです。一分のスキもないパーフェクトな人間って、かえっておもしろくありません。諭吉のような茶目っ気のある人がみんなに愛されるのだと思います。

舌鋒鋭い諭吉は、常に暗殺の標的にされていました。諭吉の暗殺計画に差し向けられた刺客の朝吹英二は殺す気満々で獲物とご対面。計画実行の絶好のチャンスを迎えます。ところが、諭吉の人間的魅力にすっかりやられた彼は塾生になってしまい、その後、出世。三井の四天王のひとりになるまでの実力者へと成長しました。

諭吉は、教師も生徒も対等なら、夫婦の関係も対等であることを良しとしました。夫婦を道徳の基本とする形は、日本では諭吉がつくったといえるでしょう。

夫が仕事から帰宅すると、妻は玄関で三指付いて迎えるのが伝統的な慣習でしたが、諭吉はそれを嫌い、わざと縁側から帰ってくるようになり、しまいには妻のお錦もしなくなったといいます。また、妻を呼び捨てにするのが当たり前の時代に諭吉は終生「お錦さん」と呼び、仲睦まじい夫婦であり続けました。そう、諭吉とお錦の夫婦も我が家と同じでラブラブ夫婦だったのです。善福寺の墓石にも「福沢諭吉 妻阿錦之墓」と彫られており、天国でも仲良くしている姿が浮かんでくるようです。

そして、諭吉は、生涯にわたって何度も家族旅行をしています。家族を大切にする現代風のパパという一面もあったのです。

「学問のすゝめ」のすすめ

儀礼的な慣習や常識にとらわれることが嫌いで、飾らず、気さく。そんな諭吉は「独立自尊」(他に頼ることなく、自らの尊厳を自らの力で守ること)を身をもって体現する行動の人でした。

学問のすゝめの中では、「一身の独立なくして一国の独立なし」「この人民ありてこの政府あり」と喝破し、国民は自分の努力不足、勉強不足を棚に上げて政府に対する不満ばかり口にしていると強烈に批判しています。この程度の国民だから政府もこの程度なのだと皮肉たっぷりに。

いま読んでもまったく古びていない。むしろ、いま読んでこそ強烈に覚醒させられる。そう感じさせてくれるのが「学問のすゝめ」です。読み進めると自分のダメっぷりに思わずアイタタタタターッとなることもあります。でも、学び続け、独立自尊を旨とすることで個人も国も強くなるというメッセージは、それまでの武士階級が「由らしむべし知らしむべからず」としてきたことへのアンチテーゼ。諭吉らしい思いやりに満ちた叱咤激励です。

人生100年時代に備えた学びの重要性に関する議論が喧しい昨今、まだ読んでいない人は「学問のすゝめ」を一読することをお勧めします。そして、多くの人に福沢諭吉の魅力を感じてほしいと願っています。

諭吉夫妻が眠る墓石からは、天国でも仲睦まじく暮らしているような雰囲気が伝わってくる

プロフィール

本コラムの著者

田中 慎一(たなか しんいち)氏

財務戦略アドバイザー/株式会社インテグリティ代表取締役 慶応義塾大学経済学部卒業後、監査法人、投資銀行を経て現職。M&Aアドバイザー、買収先企業の再建に取り組むほか、スタートアップ企業のCFOも務める。趣味はトライアスロンでヨーロッパのアイアンマンをすべて制覇するのが人生の目標。

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