建築界のノーベル賞といわれるプリツカー建築賞を受賞し、世界で活躍し続ける伊東豊雄さん。独立時に構えた建築設計事務所は来年で開所50周年を迎える。目下、大手ゼネコンと共に設計を手掛けた東京・原宿駅前の複合施設「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」がオープンし、伝統と流行が交わる街の新たなランドスケープシンボルとなっている。
今回の取材では、90年代に公共建築の概念を覆した「せんだいメディアテーク」や、2020年8月5日発売の自選作品集『身体で建築を考える』制作の裏話など、「共有」と「反骨」の精神から生まれる“考え抜く力”の秘密を探った。その中編記事です。
この記事のポイント
- 考え抜くため、言葉にしてみて、話し合って、共有する
- 何も思いつかない時は、なんでもいいから意見をぶつける
- 保身に走らないために、客観的な視点を持つ
手書きで思考を整理して、ディスカッションする
組織で話し合うために、各個人の考える力を身につけるにはどうすれば良いでしょうか。
個人的には、言葉やスケッチを「手で書く」ことにこだわっています。 原稿は自分が今考えていることを整理するのに役立つので、頼まれれば書くようにしています。
書くときは30年近くずっと、横書きの原稿用紙に、ファーバー・キャステル2Bの鉛筆と決まっています。何度も消して書き直す過程で考えが深まるので、柔らかい鉛筆でないとだめなんです。
また、原稿やスケッチのもとになる走り書きは、何十年も無地の大学ノートに書いています。スタッフが見ても何かわからないようなものなので、スタッフにも見せません。
スタッフに見せるスケッチは、だいたいA4のコピー用紙に鉛筆で描きます。ディスカッションに持ち寄るアイデアとして、きれいな模型をつくってきたりするスタッフもいますが、そこからはその人が何を考えてきたかわかり辛い。手で描いたスケッチであれば、多くを描かなくても、思考の流れや、強弱までわかります。
言葉とビジュアルの往復運動で、デザインが決まっていく
みんなの手書きのスケッチから、最終的な建築案を決めていくにあたって、どのように話し合われているのでしょうか。
僕が最初に建築のテーマを伝えるときも考えを口に出して伝えますが、みんなで案を考える時は、アイデアを言葉にすることも重視します。
ディスカッションで言葉が出る中で、新たなイメージが湧いてくるからです。
アイデアを言葉にするといっても、建築のイメージを湧かせるような言葉でないといけません。アイデアをビジュアルにしたくなるような言葉と、言葉だけで終わってしまう言葉とがあります。ビジュアルにしたくなり、何かを引き出すような言葉を「明日までに考えて来るんじゃ駄目だ、今ここでえぐり出せ」と迫ります。
そのような緊張の瞬間がいいアイデアを生み出すということは、師・菊竹清訓(きよのり)さんから教わったことです。
そのような場面で、言葉がつむげない、出てこないというときは。
僕もどうしても出てこない時は「スタッフからなんかいい言葉がでないかなー」と思っています(笑)なんでもいいから意見を出すことです。
以前スタッフだった妹島和世さんは、言葉の少ない人でしたが、好きか嫌いかだけはすごくはっきりしていました。感覚の鋭い人で、僕の案でもはっきり嫌いって言ってましたね(笑)そう言われると、僕の考えのどこかが間違っているんだろうと思って、考え直すことができました。そうすると議論が進みます。
スケッチや案を言葉にして、ディスカッションする中で方向性が決まっていくのですね。「みんなの家」とかはタイトルだけでコンセプトからデザインまですべてがバシッと決まったイメージがあります。
「みんなの家」も、実は最初は「ミニメディアテーク」と言っていたんですよ。東日本大震災の後、津波で家が流されて仮設住宅に住まざるを得なくなった地域の人たちへ、一日でも早くみんなが集まれるような場所が必要だと考えていて。
僕のつくった「せんだいメディアテーク」も被災しましたが、こういう建物こそ住民が集まれる場所になるんじゃないかと思っていたんです。
だけど、田舎の農業や漁業を営むおじいちゃんやおばあちゃんのところに行って、ミニメディアテークをつくりましょうと言っても、イメージが湧かない。わかりやすく、このコンセプトが一番伝わる言葉って何だろうとディスカッションをする中で、「みんなの家」じゃないかって思いついたんです。
「せんだいメディアテーク」のスケッチを拝見しました。スケッチと、「どこに図書館やギャラリーがあってもいい」というコンセプトは、僕にはけっこう距離があるように思えました。あのコンセプトから、どのようにしてあのスケッチが生まれたんでしょうか。
いや、スケッチの前に、そのコンセプトはありませんでした。ディスカッションでは通常の建築と同じように、この辺に図書館があって、ここがギャラリーで、と考えていました。
逆にあのイメージが先に沸いてきて、そこからインスピレーションを受けて「図書館がどこにあってもいいじゃん」というコンセプトが出てきました。
ですから、ビジュアルのイメージと言葉のイメージとの関係は、いつも行ったり来たりの往復運動です。言葉によってイメージが生まれ、またそのイメージによって違った言葉が出てくることもあります。
今、同じコンペティションをして勝てるか
伊東さんにとってせんだいメディアテークは大きな転換点だったと伺ったのですが、考えるという行為において、何か特徴はありましたか。
コンペティションにあたって、審査員がだれかということは非常に大きいですね。公共建築のコンペティションですから、普通は自治体に対して「図書館はここにあって、映画館はここにあります」というような、具体的でわかりやすい提案をしないといけない。でも「せんだい」の時は、審査員は建築家とアーティストでした。
プログラムも普通は「何々文化施設、図書館と映像関係とギャラリーの複合施設です」といった具合に出されますが、主催者からされた提案が「メディアテークってなんだろうっていうことを考えてください」だったので、こんなチャンスはなかなかない、これはもう思いっきりやりたいことをやればいいんだと思って臨みました。それでもう「どれがどこに来たっていい」と、ラディカルな提案をしました。普通の公共建築のように、役人が審査員だったら絶対に一番最初に落とされる案ですね。
案も最高だけど、戦い方も最高にマッチしてたと。他の建築家の方は、審査員までは思いが至って無いと思うのですが、伊東さんは考え抜かれていたんですね。
まあ考え抜くというか、見抜いてたとは言えるかもしれません。(笑)
その他に、考えるという行為では何が変わっていかれたと思いますか。
やっぱり歳とともに、ラディカルでなくなってきますね。
若いときには、場合によったら最初に落とされてしまうような、ゼロか100かということを平気で提案できたのに、今はそういうことができなくなってきていると感じています。
それは考え方が保守的になっているからだろうと思うんですよ。つまり、勝ちたいという気持ちが強く出すぎて、案が縮こまってしまう。
伊東さんでもですか。
今年の正月に、事務所の全員を集めて「いまもう一回、せんだいメディアテークとおんなじコンペティションを、おんなじ審査員でやったとしたら、勝てると思うか」って聞いたんです。そしたらみんな曖昧に「やっぱり勝てる・・・と思いますよ」と答えてましたが(笑)
僕は「絶対に負ける」って言ったのです。
そのくらい、今はいろんなことに配慮が行き届きすぎていて、気を使いすぎていると思います。ある意味では、技術はすごく磨かれているし、繊細な建物はできるかもしれない。
だけど、ああいう勢いの良いラディカルな建築は、今のうちのスタッフではできない。今度コンペティションをやるときは、あの当時の気持ちに返らないと駄目だってことを言いたいがために、そういう質問をしたんです。でも、今だとたぶん勝てないと思います。
自らそう言いきれる伊東さんは、今もすごくラディカルだと感じます。
プロフィール
インタビュイー
伊東豊雄(いとう・とよお)氏
1941年生まれ。主な作品に「せんだいメディアテーク」、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院」(台湾)など。日本建築学会賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、プリツカー建築賞など受賞。2011年に私塾「伊東建築塾」を設立。これからのまちや建築のあり方を考える場として様々な活動を行っている。