伊東豊雄(いとう・とよお)氏

伊東豊雄が考え抜く「みんなと共有する建築」(後編)―伊東豊雄氏インタビュー

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建築界のノーベル賞といわれるプリツカー建築賞を受賞し、世界で活躍し続ける伊東豊雄さん。独立時に構えた建築設計事務所は来年で開所50周年を迎える。目下、大手ゼネコンと共に設計を手掛けた東京・原宿駅前の複合施設「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」がオープンし、伝統と流行が交わる街の新たなランドスケープシンボルとなっている。

今回の取材では、90年代に公共建築の概念を覆した「せんだいメディアテーク」や、2020年8月5日発売の自選作品集『身体で建築を考える』制作の裏話など、「共有」と「反骨」の精神から生まれる“考え抜く力”の秘密を探った。その後編記事です。

この記事のポイント

  1. 考え続けられる理由は、既存の体制への反発・社会への問題意識があるから
  2. みんなで共有できる美しさを建築で再現したい

モダニズムへの反発

伊東さんの建築のテーマって何でしょうか。

僕がいつも共通に考えているテーマは、モダニズムの先にある建築を発見することです。モダニズムとは、明治から続く西洋の合理的な近代主義の思想ですが、僕はそれに抵抗があるのです。

モダニズム以前の日本の建築は、南の陽の当たる所はどのような場所にしようとか、北の涼しい場所はどうしようかというように、自然との関係を中心に考えられていたのです。

けれどもモダニズムは、自然から建築を切り離して考えます。建物の中に人工環境をつくるのです。断熱の壁をつくって、北も南も空調で同じ条件にする。すると自然の中から切り離された壁の中では、どこに何をもってくるかが決まらない。仕方がないので「機能」という概念を与えて、寝る部屋はここ、食べる部屋はここ、という風に壁で区切った空間に機能を限定していった。

僕はそれって、人間本来の姿から離れてしまうんじゃないかと思っていて。昔は縁側で寝るのが一番気持ちよかったり、今の人だって本当はリビングで寝てしまいたかったり。でも、機能で限定された建築は、いつどんな時でもここで寝なさいって言うわけです。

合理化を追求したモダニズムは、人間が自然の中に生きているということを忘れさせてしまいます。僕はそんなモダニズムの論理的な思考を嫌って、より自然と親しい関係を持った建築をテーマとして考えています。

より自然と親しい関係を持った建築というと。

例えば公共建築では、公園の中にいるような建築をつくりたいと思っています。

図書館では静かに本を読んでくださいと言われるけど、子供って本当はどこでも走り回りたいんですよね。

岐阜につくった「メディアコスモス」という図書館を中心とした複合施設は、「みんなの森」というテーマでつくりました。実際に子供が走り回ったり、時には声を出したりするので、怒られることもあるみたいですが(笑)それでも年配のおじいちゃんおばあちゃんは、孫のような年齢の子供がそばにいるだけで、嬉しい気持ちになったりするのです。

そのような、大きな家族が集まっているような建築をつくりたい。ちょうど今「座・高円寺」という劇場で開催している展覧会は「公共建築はみんなの家である」というタイトルにしましたが、年齢も性別も関係なく同じ場所にいられるような、そんな壁のない建築を考えています。

求め続けられる壁に対して、どうするか

それでも、やっぱり壁のない建築をつくるのは危険だとか、問題が起きたらどうするんだとか言われることも多いです。

特に公共建築は、壁ばっかり要求してくるのです(笑)壁で区切られ機能が限定された部屋に、わかりやすい説明がついていないと納得してもらえない。自治体はできるだけ安心安全ということを考えていますから、子供は子供専用のスペースに閉じ込めておくのが、一番安心と考えるんですね。

でも僕は本当にそうか?と思っています。閉じ込めたって安心とは言い切れないし、公共建築に訪れ、みんなが他者と触れ合う中で自分の立ち振る舞いを考えることもできるんじゃないでしょうか。

自治体の人とは話がかみ合わないことも多いですが、僕がどういうことをやりたいかを理解してもらうために、いろいろ考えます。真っ向勝負をしてもうまくいかないので、まず住民の方に味方になってもらうために、こんな工夫をできるんじゃないですか、って提案してみる。住民の方々が自分たちの地域のことをよく考えておられ、僕の案をよく理解してくださる時は、割とスムーズにいきます。

だけどやっぱり公共建築では、壁が少ないっていうだけでコンペティションによっては落とされてしまう。ちょっと問題があったらすぐにニュースになってしまう社会なので、自治体の人も大変だろうと思うのですが。

100%の安全を求めることはできないぶん、難しいところですね。

アメリカでは、我々のような個人の建築家っていなくなってしまったのです。ちょっと段差があって転んだら、すぐ裁判になる社会ですから。個としての建築家はつぶされてしまって、育たなくなってしまいました。

日本もそれに近づいてきていますよね。我々も東京では、「WITH HARAJUKU」のような商業建築を手掛けるくらいで、公共建築に参加する機会はほとんどなくなっています。

そういう厳しい状況を伝えるために、以前「渡る世間は壁ばかり」というレクチャーをやったこともありました(笑)。

ましてや今、公共の場はコロナ対策でアクリル板だらけですよね。上野の表慶館で9月下旬から開催する「工藝2020―自然と美のかたち―」という展覧会では、アクリルの展示台を使うのに「早く発注してくれないとアクリルが間に合いません」と言われています(笑)

そんな壁ばっかりの世の中って、なんだかおかしいと思うのですが。

伊東豊雄にとっての「美しい」とは何か

最後に、伊東さんは「美しい」をどう定義されていますか。

僕の育ったところは長野県の諏訪湖のほとりで、その原風景というのが、僕の考える「美しい」の一つの基準になっています。

誰でも、自然の一番綺麗な時の風景を、心の中に持っているのではないでしょうか。日本だったら海か、山か、川、湖くらいしかないんですね。

「美しい」の定義にもいろんな考え方があると思いますが、子どもの頃に体験した田舎の原風景のような、自然の美しさが、みんなが共通して描ける美しさじゃないかと思っています。

僕はそれを軸に美しい建築をつくりたいと思っています。自然の最も美しい風景のような建築をつくることができれば、みんなが美しいと思う気持ちを、共有できるはずだと思っているのです。

美しいにもいろいろありますが、原風景は確かにみんなで共有できる。

そういう考えに至った一つの理由として、僕の大変尊敬する中沢新一さんという思想家・人類学者の存在があります。8月初めに、自選作品集を出すのですが、その巻頭にもエッセイを書いていただきました。本当に現代思想を考え抜いている方です。

僕は1980年代に、中沢さんがチベットの仏閣建築について書かれたエッセイを読んで感銘を受けました。そこには、モダニズムの進んだ日本と違って、チベットのような自然により近い地域ですら、幾何学を使わないと仏教寺院をつくることができないと書かれていました。

伊東 豊雄 (著)『伊東豊雄 自選作品集: 身体で建築を考える』(平凡社)は、2020年8月5日出版。伊東氏の手掛けた過去約200作品の中から、自身が推薦する27作品を書き下ろし原稿とともに収録。写真も厳選し、当時のクリティークや対談も再録される。 Photo@伊東豊雄建築設計事務所

日本でも地鎮祭をしますが、その由来を知っていますか。

建築をつくるとき、人間は自然を壊さずそのままにすることはできませんので、大地の神様に「ここに自然とは違うものをつくりますが許してください」という意味をこめて地鎮祭をします。

そうして自然に敬意を示して建てられた建築は、確かに幾何学でできているけれど、内部に入ってみると失われたはずの「自然」が蘇るように感じられる。もちろん外の生の自然とは違うものですが、その中に入るともうひとつの自然が蘇っているかのように感じられる。チベットの建築を例に、そう書いていました。

幾何学を使った現代建築でも、その内部に入った時に、自分の原風景が再現されるような建築をつくることなら可能だろうというのが、僕の考えです。

プロフィール

インタビュイー

伊東豊雄(いとう・とよお)氏

1941年生まれ。主な作品に「せんだいメディアテーク」、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院」(台湾)など。日本建築学会賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、プリツカー建築賞など受賞。2011年に私塾「伊東建築塾」を設立。これからのまちや建築のあり方を考える場として様々な活動を行っている。

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