2013年にワールド・エアポート・アワード*の「世界で最も清潔な空港部門」を受賞して以降、2020年には通算7度目となる同部門第1位に輝いた東京・羽田空港。*英国の航空業界専門格付会社SKYTRAX社が毎年実施している、国際空港評価
その清掃員として「NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し大反響をよんだ新津春子さんは、現在環境マイスターとして多くのスタッフを指導しながら、テレビ出演や講演活動、書籍の取材対応やYouTube配信まで、幅広く活躍されています。
新津さんが仕事へのモチベーションを高く保ち、素晴らしいパフォーマンスを発揮し続けてきた秘訣は、監修するハウスクリーニングのサービス名にも冠した「思う心」でした。
後編では、ワールド・エアポート・アワードを初受賞する7年前、新津さんが「思う心」を持つようになったきっかけを教えてくださいました。
この記事のポイント
- 清掃に必要なのは、早く・きれいにすることだけじゃないと教えてもらった
- 新しいスキルを自分のものにするため、まずは観察から入った
- 仕事にやさしさを取り入れると、仕事を評価されるようになった
「思う心」を意識したきっかけ
新津さんが「思う心」について考えるに至った経緯を教えてください。
きっかけは、27歳の時に出場した清掃の全国大会「全国ビルクリーニング技能競技会」の東京地区予選で、2位になったことです。
私は大会でどうしても1位がとりたかった。自分を育成してくれた会社に優勝賞金を渡したいと思っていたんです。入社してから3年間、清掃の勉強のため毎月のように参加していた研修の費用を全て会社が負担してくれていて、借金のように感じていたんですね。
でも、東京地区予選の結果は2位でした。2ヵ月後に全国大会を控えていましたが、自分ではルールに沿って完璧にできている自信があったので、なぜ2位なのか全くわかりませんでした。
困っていると、鈴木常務に「あなたにはやさしさがない」と言われて、ものすごく衝撃を受けました。
指摘が全く分からなくても、身体に覚えさせた
初めは「やさしくない」の意味が分からず「大会は一人で出場するから協力する相手もいないし、誰にやさしくするの?」と聞いたんです。鈴木常務の1つ目の答えは「会場へ大会を見にくるお客様を、楽しませようと考えましたか?」
私は、お客様のことは全く頭にありませんでした。規定通りに、いかに自分の実技をきれいに見せるかしか考えていなくて「見たい人は見たらいいし、見たくない人は見なくてもいい」と思っていたのです。
続けて「大会で使うモノに、敬意を払ってていますか」と言われました。この質問も、モノには心がないのに、敬意を払うという意味が全くわかりませんでした。
常務は「清掃をしている時、このテーブルを作ってくれた人のことを考えたことがありますか?その気持ちがあれば、敬意が出てくるんじゃないですか」と教えてくれましたが、それでも、そんなことは考えたこともないし、その時は、正直そんな気持ちは全くわからなかったんです。
初めてそんなことを聞いて、すぐには性格を変えられませんよね。「私にはわからないので、常務がやって見せてください」とお願いしました。 とにかく2ヵ月後に、全国大会に出場しなければいけないので、自分で理解できなくても、鈴木常務をそっくりそのまま真似ることができれば、なんとかなると思ったんです。
鈴木常務はいつでもお手本を見せてくれました。私は毎日仕事後に練習をして、そっくり覚えて、2ヵ月後に本当に全国1位をとることが出来ました。
そこで「これだ!清掃にはやさしさが必要なんだ」とはっきりわかりました。
日常の仕事で繰り返し、理解を深めていった
鈴木常務に1位になったことを報告すると「あなたが1位になることはわかっていましたよ。頑張って練習していたのを知っていますから。」と、それまではいくら頑張って仕事をしても、全然褒めてくれなかったのに、そう言ってもらえて本当に嬉しかったのを覚えています。
17歳の時に清掃のアルバイトを始めてから10年間、素早く・綺麗にできればいいと信じてやってきた私が、その時に初めて「やさしさ」をもてばより良い清掃ができると知ったんです。でも、まだ私は「やさしさ」の本当の意味まではわかっていませんでした。
「やさしい清掃を絶対に自分のものにしたい」と思い「やさしさ」って何だろうと考えるようになりました。
大会では、常務をよく観察して真似をしていたことを思い出し、毎日の仕事でも、まずお客様を観察してみようと思いました。お客様の行動を見ると、例えば年配の方は、私たちと違う動作で椅子に座ります。
ゆっくり手すりをつかんで、足の向きを変えて、全体重をかけてドンと座る。椅子を触る回数も、体重のかかりかたも違いますよね。
それを見て、椅子は常に安全でないといけないと思うようになったんです。椅子を拭くなら故障がないかチェックすることもワンセット。それがやさしい清掃なのだなと気づけました。
それからは一つ一つの仕事に対して、いつも自分に問いかけるようにしていました。
すぐに忘れてしまわないように、「思う心」という言葉を自分で作って、作業を始める前に、モノに対しても人に対しても「相手を思ってる?」と常に問うようにしました。その中には、事前に行程を考えたの?とか、色々な意味がこもっているんです。毎日の仕事の中に「思う心」を取り込んで、自然にやさしくなれるような工夫をしたんです。
このように「やさしさ」について考えるようになってから初めて、お客様から「ありがとう」と言われるようになりました。
恥ずかしい話ですが、私はそれまで一回もお客様にありがとうと言われたことがなかったんです。17歳で清掃を始めて、24歳でこの会社に入って、27歳になるまで、1回も。
とにかく早く・綺麗にすることしか頭になくて、言われたとおりに仕事をしていただけなんですよね。お客様を思う心がなかったと気づくことができました。
「思う心」をもって仕事に取り組めば、仕事を評価されるようになる
新津さんが仕事をしていて、精神的につらかったなというときはありましたか?
担当する部署も増えてきた2014年のことです。私は課長代理として、空港と外部あわせて5つのエリアでスタッフを管理していました。
更にビルメンテナンス協会で講師の仕事もしており、忙しくもとてもやりがいがあったんです。その頃に、神奈川県のスポーツジムに欠員が出て、早番と遅番の人が足りなくなってしまいました。
会社ではずっと募集をかけているのに、アルバイトにも一人も応募が来ない。その時期が一番厳しい状況でした。
休み希望を出しているスタッフに無理に出勤は頼めないし、残業をお願いしても回らなかったので、私はジムがOPENする朝6時前に出勤して、作業を3~4時間手伝った後、羽田空港に戻って、また夜はジムで夜11時半まで働くという生活を、1ヵ月くらい続けたんです。
他にも担当エリアはたくさんあるので、休みも2日しか取れなくて、毎日寝る時間も食べる時間もなくて、ガリガリに痩せました(笑)
さすがに旦那さんも心配するので、上司に相談しても「募集はかけてるんだけど、全然人が来ないんだよ。新津さん大変だよね」というだけです。現場が大変だから、現場の仕事を手伝おうっていう発想が上司にはないんですよね。
それで困っていた時に、ちょうどNHKから連絡が来て「プロフェッショナル仕事の流儀」出演のお話がありました。その時は寝る暇もなかったので断ったのですが、NHKからの要望は「日本一の清掃人」ということで、全国大会を(当時)最年少で優勝した私が推薦されたんです。最終的には「もう邪魔だけしないでくれたら、ずっと後ろで見ててもいいから!」と言って、密着取材が始まりました(笑)
そこから一か月以上、すべての勤務時間にNHKのロケ班が同行しました。複数のエリアをまたいで夜間勤務もありましたが、そのすべてに同行していました。ある日、途中で番組のスタッフがうとうとしてるんです(笑)「新津さんは眠くないんですか?」って。眠いよ!(笑)でも人が足りないから、その穴を空けないことが、私の仕事だから。
あの取材は、新津さんにとって一番つらい時だったんですね。仕事を辞めようかとは思いませんでしたか?
辞めようと思ったことはありません。大変な時やつらい時もありますが、だからといって途中でやめたら何も残りません。あきらめずに仕事に向き合っていたから、一番大変だった時に密着取材の依頼がきて、それが今につながっているのだと思います。
とにかく成果を出すまでやり続けるだけです。私は運が良かったこともあるけど、成果を出せた理由はやはり負けず嫌いの一言だと思います。これからも自分にやさしく、目標に向かって仕事をしていきたいと思っています。
プロフィール
インタビュイー
新津 春子(にいつ・はるこ)氏
1970年残留日本人2世として中国瀋陽に生まれる。17歳のとき一家で来日して以来、清掃の仕事に従事。95年日本空港テクノに入社。97年当時最年少で全国ビルクリーニング技能競技会1位に輝く。同社唯一の「環境マイスター」として羽田空港で活躍。また空港で培った清掃品質を家庭に届ける同社のハウスクリーニング“思う心”を率いる。
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